Dreams
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大野剛資35奥底には全く当たり前の感性が眠っていると気付いたからでした。僕は何故か勝手に声が出てしまうので、見掛けはとても複雑な言葉を持っているようには見えません。だから、柴田先生も人間的な言葉を見たとたん、僕の見かけと内面の違いに驚いたのだと思います。今出ているのも、そういう声です。見かけでは、とてもどうしてこんな人がこんなことを話すのかと思うと思うでしょう。わだかまりは、そういう人間としてみてもらえないというところから生まれたものでした。皆さんはどう見えたでしょうか?見かけというものの恐ろしさがお解かりいただけたでしょうか。わずかなチャンスでしたが、そのチャンスをうまく生かせて僕はここまで話せるようになりました。僕だけではなく、たくさんの仲間がこの手段で話せるようになりました。私たちは今、仲間たちと「きんこんの会」という会を作って日本中に発信しようと考えています。僕は長い間沈黙を強いられてきましたが、強い味方もどんどん現れてきて、今とても望みが叶いそうな気がしています。

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