それはそれは昔のお話です。大きなお屋敷がありました。そこに、直吉という間抜けな家来がおりました。直吉は十七歳、このお屋敷に来て五年になりますが、その間抜けさは相変わらずで、殿様も手を焼いておりました。
「直吉、直吉は居るか?」殿様の声がしました。
「直吉は、まだ寝ております。」女中頭のおすーさんが答えます。
「全く直吉ときたら、何時だと思ってるんだ。」
殿様は、おすーさんに用事を頼んで向こうに行ってしまいました。
おすーさんは、用事を済ませた後で直吉を起こしに行きました。
「直吉、起きなさい。殿様がお怒りですよ。」
直吉は、おすーさんの声でやっとこさ起きて、返事をしました。
「おすーさん、こんにちは。何か用ですか?」
「用と言うよりは、今何時だと思っているのですか、直吉。こんな事じゃ困りますよ。」
直吉は、眠い目を擦りながら、殿様のところに向かいました。
「直吉でございます。」
「直吉、もう少し早く起きれんのか?」
「何せ昨日は、夜も良く働いたもんで、疲れましてね。」
「何をそんなに働いたのかね?」
「実は私、おすーさんの事が少々気がかりでして。」
「おすーさんがどうかしたのかい?」
「それがですね、おすーさんときたら、あの調子で良く働くのですが、昨日も和姉さんを怒り飛ばしたようでしてね。和姉さんときたら、とにかく愚図なもんで、おすーさんが頭にきたようなんですよ。私は、このお屋敷が丸く収まって欲しいと思い、一肌脱いだという訳ですよ。」
「それで丸く収まったのかね?」
「和姉さんの言い分を、よーく聞いてあげたんです。何せ、二人ともテンポが合わないんで大変ですよ。」
「鳥庵先生、今の話どう思われますか?」
殿様は、治療に来ていた鳥庵先生に意見を求めました。鳥庵先生というのは、優秀な藩医の先生で、病弱な殿様の体をここまで治したのは鳥庵先生の力と言われています。だから何かあると、殿様は必ず鳥庵先生に相談するのです。
「そうですね。これは難しい問題ですが、仕方のないことですよ。まあ、そのうちうまくいきますよ。」
鳥庵先生も、治療の事なら答えられても、お屋敷のゴタゴタまでは難しいのでした。
直吉は、ひとまず殿様に報告が終わったので、自分の部屋に戻りました。すると今度は、和姉さんが訪ねて来ていました。
「直吉、聞いておくれよ。おすーさんときたらね、サッササッサとやってしまうのはいいんだけどね、私の大事なかんざしを、ゴミと一緒に捨てちゃったんだよ。信じられるかい?私がそれはそれは大事にしていたかんざしを、ゴミと間違えるなんて?」
「実は僕もこの前、へそくりを本の間に隠しておいたら、その本を捨てられちゃったんですよ。僕、後でおすーさんに言っておきますね。おすーさんも気付いてないと思うんですよ。」
直吉はやれやれと思いながらおすーさんを訪ねて行きました。
「おや、直吉。仕事は終わったのかい?」
「仕事は今からなんですけどね、おすーさんに話がありまして。おすーさん、お屋敷の中を片付けるのはいいんですけど、和姉さんのかんざしや、僕のへそくりまで捨てちゃあ困りますよ。」
「あれまあ、そんなものまで捨てちゃったのかい?何せこのお屋敷の人たちときたら、整理整頓がなってないもんだからね、アタシがお手本を示そうとドッサリと捨てたのさ。ありゃー、そりゃあしまったね。」
おすーさんは、反省したような顔をしました。
「それと和姉さんの事なんですけどね、あんまりガミガミ言わないで下さいよ。和姉さんの愚図は今に始まったことではないんですからね、言っても仕方ないじゃないですか?」
「そうなんだけどね、聞いておくれよ、直吉。和姉さんときたらね、朝言ったことが、夜になっても出来てないんだよ。まったく和姉さんの時間の感覚というのはどうなっているんだろうね?」
「そうですね、和姉さんの時間の感覚にも困ったものですね。おすーさん、僕に提案があるんですけどね、和姉さんを買い物係の方に移してはどうでしょうかね?殿様に言ってみますよ。」
「頼むよ、直吉。」
直吉は殿様のところに行って、今の話をしました。
「それは、いいかもしれないな。早速やってみよう。」
直吉は、昨日からのゴタゴタが片付いて、ホッとしました。これでまた寝れると思い、自分の部屋に戻りました。すると今度は、おすーさんが待っていました。
「直吉、一度言おうと思ってたんだけどね。おまえ、その間抜けはどうにかならないのかね。まさか、自分の間抜けに気付いてないのかい?」
「へ?僕が間抜けですって?」
「やっぱり気付いてなかったんだね。」
「おまえ、自分の生活を振り返ってごらんよ。起きてる時間より寝ている時間の方が長いんだよ。そして用事を言いつければ、三つのうち二つは忘れるし。ほかにも、入口と出口を間違えたり、人の着物を着てたり。買い物に行かせりゃあ、とんでもないもの買ってくるし。おまえねえ、このお屋敷は平和だからいいけど、よそだったらとっくに追い出されてるんだよ。」
「そーなんですか。自分の事は意外とわからないもんですね。僕はね、自分の事を、このお屋敷になくてはならない重要な人物だと思ってましたよ。」
「確かにね、おまえはいい奴だけどね。なんでそんなに間抜けなんだろうね?」
「あんまり、自分の間抜けで困ったことがないもんですからね。僕も気付かなくてね。」
「おまえは困ってなくても、周りは困っているんだよ。」
「じゃあ、これから気をつけます。おやすみなさい。」
直吉は、また寝ることにしました。
おすーさんは「まったく仕方のない奴だ。」と思いながら向こうに行きました。
ここはとても大きなお屋敷で、たくさんの人が働いています。毎日色々なことがありますが、皆仲良くやっています。殿様が小さいことをあまり言わないので、皆は働きやすいようです。
こんな感じでこのお屋敷は長く続き、皆年を取って行きました。あ
の間抜けな直吉も、今ではこのお屋敷を取り仕切るぐらいに成長しました。
おすーさんも和姉さんも、相変わらず元気です。殿様は年を取ったので隠居しています。
鳥庵先生も、この頃は年を取った、おすーさんや和姉さんの治療をしています。鳥庵先生は、このお屋敷に長く通いながら、「あの間抜けな直吉が、ここまで成長するとはなあ。」と嬉しく思うのでした。
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